この作品ってほかと違いますね、ジャケットがビートルズのサージェントペパーズみたいで。一方、映像の雰囲気は、いつもみたいな貴族の館じゃないしマルチェロ・マストロヤンニも出てこない。ニュー・シネマ・パラダイスみたいな、市井の人たちの町だ。いや、エミール・クストリッツァのほうが近いか。演技する動物が出てこないだけで。粗雑で祝祭の人々、ときどきファシズム。
綿毛が街を埋め尽くす春。枯れ木を積み上げた上に”魔女”を載せて、燃やしながらみんなでそれを取り囲む。(「バーニングマン」の原型?)これってちょっと怖いですね…
フェリーニ少年のイメージが重なるチッタ少年は、15も年上のケバくてゴージャスでグラマーな美人のとりこです。マルチェロ・マストロヤンニが追いかけては絶望するグラマー美人の原型だ。
フェリーニの映画はいつだって、豪華だけど居心地が悪い、自分がいたい場所じゃない、という落ち着かなさがあったけど、ここがふるさとだったんじゃないか。どうして一番大事なものの映画を撮らずにきたんだろう。虚飾の館にいつづけなくても良かったのに。母と愛する女性を失ったショックが大きすぎて、孔雀の呪いが怖くて、帰れなかったのかな。
フェリーニの映画の中で一番これが好きかもしれません。