映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

アマンダ・ステール監督「マダムのおかしな晩餐会」2619本目

<ネタバレあり>

舞台はフランスの映画だけど、アメリカ人夫婦の物語で、言語は英語なのね。なんと、英語をしゃべるロッシ・デ・パルマの恋の物語です。この人いい歳の取り方してるな。軽妙さが落ち着いて、安心して見ていられる。

原題は「Madame」なので、インド映画「あなたの名前を呼べたなら」の原題「Sir」と対になりますね。あっちも身分違いの恋の物語で、非現実的なハッピーエンドにはならなかったけど、こっちのエンディングは、それまでの物語と一転して「わかりづらい」。ミステリー映画ではないので、ここで急にミヒャエル・ハネケみたいに難しいエンディングにする必要はなかったんじゃないかなぁ。

メイドが仕事を辞して家を出た直後、画商はマダムの息子(二人の恋をネタに「メイド」という小説を執筆中)に、その小説のエンディングについて話をする。そのとき画商は「a woman I was fond of once told me not to despise people... that the people love happy endings....」という。これはメイドが晩餐会で言ったことなんだけど、彼女は「自分がかつて愛した女性」だと、日本語字幕でもことさらはっきりと過去形で書かれてました。恋は終わったのだ。そして画商はそのあと、嘘はいけないよ、と息子を諭します。

でもメイドが家を出たあとの表情は輝いていました。それは橋の向こうに彼を見つけたからではなく、彼に対してずっと正直だった自分が、終わったとはいえあんなに愛されたこと、あのマダムの家から解放されたことの喜び、ってことなのかな。

しかしこういう「上流階級のひとたちの晩餐会」って何なんだろう。ステキな既婚男女が知り合って気の利いた会話をして不倫に持ち込むための出会いパーティなんだろうか。本来はもっと政治的な、損得を目的とした人間関係を作るたものものなんだろうな。虚飾がきわまると、体裁ばっかりとりつくろうようになるもんなのかな。

トニ・コレットって「ナイブズ・アウト」でも高慢ちきな上流階級の女性役だったな…はまり役過ぎてつい使っちゃうんだろうな。こういうステレオタイプな役柄の人が大化けする映画も見てみたいです。 

マダムのおかしな晩餐会(字幕版)

マダムのおかしな晩餐会(字幕版)

  • 発売日: 2019/05/22
  • メディア: Prime Video