映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

モーリス・ピアラ 監督「悪魔の陽の下に」2841本目

パルムドール受賞作のリストを見てレンタルしてみました。 1987年作品。ジェラール・ドパルデュー若い。(この人いったいどれくらい映画に出てるんだろう、いつも出てる)

自主的に苦行に励む若い神父。まだ10代で妊娠してしまい、精神不安定のままこどもの父親を誤って射殺してしまう女の子。

神父は夜通し歩いてある場所に向かう途中、気の良さそうな男に声をかけられる。彼は神父を誘惑し、「悪魔よ去れ」と言われるが、俺はお前と同じだと神父に告げる。殺人を犯した女の子が次に神父の前に現れる。神父は彼女の心を読んで罪を察し、彼女にそれを告げる。罪を犯した者と罪を自覚させる者。自殺した者にも祝福を与えようとする神父。

教会の規則と神の奇跡の乖離。真面目過ぎて人とうまくやっていけない神父だけど、彼を頼って悩める人々がどんどん集まってくる。死んだ子を生き返らせようとして「悪魔でも神でもいいから生き返らせてくれ」と言ってしまう。全然キリスト教の言葉じゃない、ただ願ってるだけだ。これが超常現象なのだとしたら、そう言ってしまう気持ちもわかる。超能力者がもしも自省的な人で、神の道を進もうとしたら、どういう葛藤が起こるか?…という映画だったのかな。こんな「第七の封印」みたいな宗教映画にドパルデューが出てたんだな。

秘跡ということが歴史的に実際にあったとしたら、人間ごときが勝手に神と呼ぶものと悪魔と呼ぶもののどちらかにきれいに分類されるものではなく、何か不思議なエネルギーのひずみとかによるものだったかもしれない。神父さんが生まれる前、ジーザスの頃やそれよりもっと前の時代には、神と悪魔の区別はなかったかもしれない。(ギリシャ神話や日本の八百万の神々には、悪さしたり人間を困らせたりする神もいたんじゃなかったっけ。)

地味だけど意外とすごいところに切り込んだ映画でした。キリスト教世界の人たちが見たら頭を殴られたような衝撃だったかも。

ところで頭のてっぺんだけ、直径4センチくらい剃る場面があるので調べてみたら、広くツルツルにそり上げる(「トンスラ」というらしい)のとは違って、司祭になるときに儀式として刈り取るのだそうだ。これみんな気になったでしょ?

悪魔の陽の下に [DVD]

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  • 発売日: 2014/02/22
  • メディア: DVD