映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」3139本目

<結末にふれています>

カウチ映画派の私が2日続けて映画館に通うとは。何としてもすぐ見たい作品が続く幸せをかみしめています。

村上春樹のほうは、「ドライブ・マイ・カー」を2015年に読んでました。ヤツメウナギとか、不愛想な若い女性ドライバーとか、よく覚えてるけど、広島のワークショップは覚えてない。どこまでがオリジナルなのか…読み直してみなきゃ。濱口監督は2016年に「ハッピーアワー」を見てその方法論に驚き、以降メジャーになる前の短編も見たりして追っかけています。前に何かで読んだ、徹底的に棒読みで読み合わせをさせて、いざ演じるというときの感動を高める演出方法は、劇中劇でも行われていましたね。

この作品も、私はとても好きです。前述の方法論だけじゃなくて、欠落を抱えて生きていく人に必要な何かを、探し続けているところが。みさき(家福夫妻の亡くした娘と同い年)と悠介が雪に埋もれた家を前にする場面と、チェーホフの舞台で悠介演じるワーニャに韓国手話でソーニャが聖母マリアのように語り掛ける場面で、彼は二度救われる。(近くの席の男性たちの鼻をすする音が聞こえてきました)私は泣かなかったけど、やっぱりちょっと気持ちが軽くなって帰って来た気がします。

家族や大事な人を失って、大きな穴を抱えて生きている人って多分けっこうたくさんいる。私にも悠介とみさきのような瞬間が、何度かあったなと思い出していました。立ち入った個人的なことは話したことがなかった友人から秘密を打ち明けられて、自分も黙っていたことを打ち明けて、共有して、一つになれた瞬間。生きているとそういう瞬間がたまにあるから、人間は欠落を抱えても生きていけるんだ。

それから、みなさん感想に書いているように、高槻vs悠介の車内対決は歴史に残る場面でした。あの、少し気持ちよさそうに薄ら笑いを浮かべて彼女の”ピロートーク”を語る、生意気で美しい自然児。この場面が美しくなければならないから、この役は岡田将生だったんだなと納得。

西島秀俊も素晴らしかったですね。彼はどこから見ても(朝ドラで見ても)隙なくカッコイイのですが、埋められない心をもつ男の表現も文句のつけようがなかったです。

映画が終わったあと、(登場人物だけど)悠介は役者兼演出家を続け、「ワーニャ伯父さん」のワーニャは彼の定番としてこの先何百回も公演を重ね、みさきは…視力が落ち始めた悠介から車をもらって、福岡からフェリーで釜山へ渡り、韓国語を操って買い物などしている。「チ・ン・ピ・ラ(ずいぶん昔の映画だ)」で主人公たちがハワイだかアメリカだかへ渡る夢を見るのが、今なら現実的に韓国に渡るのかなと思ったりしました。

濱口竜介は本当に脚本が素晴らしいですね。感情をこめて、むき出しにして、涙や鼻水をたらして顔を真っ赤にして叫ぶことが真実なんじゃないのだ。(だから瀬々監督はだんだん好きじゃなくなった、とか言わないほうがいいのかな)

声をカセットテープに残して逝った妻の名が「音」だったり、広島で出会う外国人がかつて日本がなんらかの形で統治した国々の人だったり、設定に含みはいろいろあるけど、背景として深堀りせず置いといてもいいと思ってます。言語が違っても気持ちが共有できることは、演技経験の長さを問わない監督の方法論の応用なのかもしれないですね。

それにしてもワーニャ伯父さんのソーニャの言葉は偉大だった。一度これも見るなり読むなりしたいけど、映画は見つからないな‥できれば舞台を見てみたいものです。