映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

松本優作 監督「Winny」3616本目

日本ではこんなに本格的な法廷ものの映画って少ないんじゃないかな?構成も背景調査もしっかりした作品で、映画としての出来はすごく良かったと思います。

一方、取り上げられた事件そのものについてはどうなのか?・・・一昨日この映画を見に行ってから、あの裁判が行われていた頃のことを思い出そうとしているんだけど、あまり明確に思い出せない。当時の自分の立場も個人的な意見も。

NapsterやWinMXが違法コンテンツやソフトウェア配布の温床となっていたことや、WinMXの「MX」を「NY」に変えて後継ソフトを開発した日本人がいて人気が出てると聞いたことはうっすら記憶してる。金子さん逮捕の2004年5月には私はまだソフトウェア会社の法務部にいて、違法コピー撲滅!とか言ってたはずので、どちらかというと彼らを敵視してもおかしくないけど、少なくとも敵だとは思ってなかった。(当時私はPCオタクだったので)でも逮捕には驚いたはず。「食事用のナイフを作った人は殺人ほう助の罪には問われない」というより、「人を殺さないで下さいと書いた銃を売ればそれは殺人の道具ではない」くらい例えを絞りたい気もするんだけど、それでも法治国家としては、ソフトウェアの開発者をなんらかの法律違反のほう助の罪に問うのはおかしい。

作った人に、それで人を殺せるとか、違法な利用ができるという認識があっても、それだけでその人を罪に問うべきじゃない。そんな法律を作ってはいけないしそんな運用をするのも間違ってる。なのに有罪にしてしまったのが第一審の誤りで、高裁と最高裁の判断は真っ当なのだ。

この映画は、金子さんを悪い意図を持った人ではなく不器用で純粋なエンジニアとして描いていてすごくほっとしたけど、それでも、完全にイノセントな天使のような人だったと考えるのはいい大人に対してちょっと失礼に思える。当時のエンジニアって、ものすごくざっくりと言うと「自力でP2Pソフトを開発するのってすごくチャレンジングで面白そう。完成させて開発者コミュニティに投稿したらみんな尊敬してくれるかな。でもそんなん作っちゃったら違法に使う人がいてもおかしくない。なんかそれって著作権法の穴なんじゃないのかな」と思いながらコード書いてる、って感じだったんじゃないかと思う。ちょっとまずい気はしてるけど、自分にできるのはコードを書くことだけで、世の中の問題を自分で解決するなんて無理。ソフトウェアでその部分を制御すればいいのでは?と思いついたのは逮捕された後だったりする。

彼がWinnyの修復を禁止されていたせいで日本のソフトウェアの発展が遅れた、と私もずっと思ってたけど、映画を見てその後いろいろ調べてみて、それだけじゃないなという気がしてきてる。TRONが本当は世界を席巻するはずだったとか、いろんなことを言う人がいたけど、今思うのは、誰が善人で誰が悪人だ、みたいな二元論で被害者意識を持つくらいなら、現実的に誰も彼もを自分の方に取り込むために何が問題で何をしないといけないか、ちゃんと考え抜いて、コツコツ調べて分析して対策を続ける者しか生き残れないってこと。技術だけじゃなくて知恵と努力が必要・・・そういえばそんなことを考えて、日本のエンジニアを助けたいとか言ってビジネススクールに通い始めたんだったっけ。何の役にも立てなかったわ。

でも細々と著作権の勉強は続けていたりする。著作権侵害は侵害された権利者だけが告訴できる「親告罪」なんじゃないのか?って話が映画の中でも出てたけど、TPP法改正以前からその除外とされてた「技術的保護手段の回避を行うことを専らその機能とする装置やプログラムを公衆に提供する行為」にWinnyは合致するので警察が告訴したってことなんだろう。その事件の裏に警察内部の問題の隠匿があったとこの映画では示唆する。さもありなん。いろんな権威が信じられなくなった今だから、観客もそこをくみ取ってついて行くことができる。

あの頃の同僚や弁護士たちは、この映画をどんな風に見るんだろうなぁ。あるいは見ないのかな。もう忘れてしまって、今立ち向かっている事件や問題にかかりきりになってるのかな。でも映画好きな者として、私くらいは、一人の無邪気で才能あふれるエンジニアが拘留されて有罪判決を受けて、早くに亡くなった事件のことをまじめに思い出していたい、と思うのです。