映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

成瀬巳喜男監督「女が階段を上がる時」3683本目

成瀬巳喜男監督作品は、最初に一気に数本見て、それからはポツポツと見ているだけ。いいなと思った作品はまとめて同じ監督の作品を見尽くすまで見ることが多いけど、15年前はDVDが出そろっていなかったんだろう。今はU-NEXTだけで18本もある。昔の映画が大好きな者としては本当にありがたい。

監督は女性を描くのがうますぎる、といつも思うけど、それより今回は高峰秀子の演技のすごさに参りました。彼女が演じる圭子は、孤高の銀座の女として、長年強く清く肩ひじ張ってやってきたけど、30という年齢(若いよ!)、母や兄の問題、銀座の他の女たち、自分を気に入って店に通う男たち、さまざまなものの重さで、崩れ落ちてしまう瞬間がやってくる。

この映画のタイトルは「階段を上がる時」だけど、女たちは階段を上がろうとしてつまづいたり落ちたりするだけで、上り詰める者はいない。女が階段を上れなかった世界。金を持ってるのは結局みんな男たちで、女たちは男を手玉に取っているつもりで奪われているだけだ。この時代には、女たちに希望を持たせる映画を作ることすら罪作りに思えて、ためらわれたのかもな、と思う。

でもこれで終わりじゃない。次の日はまた店で、幸せいっぱいのような輝く笑顔で客を迎える。たぶん彼女は新しい店でまたパトロンを探しながら、ゆくゆくはもう少し小さい小料理屋みたいなものを開いたりするのかもしれない。仕事上のパートナーである小松っちゃん(仲代達也)は、要領のいい純子(団令子)みたいな女と一緒になるのかもしれないけど、圭子と完全には切れないんじゃないかな。彼女の店でしれっと板前でもやってるのかもしれない。

人間、一度堕ちたところがスタートラインですよ。(知ったような口を)

銀座のホステスの中に、塩沢ときがいるのに気づいてしまった。私が知ってる彼女は、テレビドラマの中の風紀の先生だったので、お前がホステスかよと突っ込みたい気持ち・・・。