パゾリーニ監督作品は、キリスト教の悪い部分を描くことになってるんだろうか?
世界の終わりを告げる使徒のようなテレンス・スタンプ(不吉なジュード・ロウという感じ)がある邸を訪れると、邸の人間はみんな、彼に自分を与えずにいられなくなる。彼が急に去ると、そのすき間を埋められず、彼らはそれぞれ破滅していく。強い麻薬みたいな、悪魔のような使徒。
これをもっと膨らませて、もっといま風に不吉にすると、「聖なる鹿殺し」とかになるのかな。不吉な啓示についての映画を作り続ける人ってこれからもいるんだろうな・・・。キリスト教を深く知らないと理解できない世界なのかな。