映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

成瀬巳喜男監督「浮雲」10

1955年の作品。林芙美子の小説がベースで、高峰秀子森雅之が主役。
珍しくこれは原作を先に読んでます

高峰秀子可愛いすぎる!!要は植民地に赴任していたときの不倫相手に内地に戻ってきたら捨てられて、追いかけて逃げられてまた恋をして…っていうお話なのですが、これほど可憐だと女が可哀想に見えて、男が悪く見えて仕方ありません。

というか…見た目が可憐で中身がキツイ人はたくさんいますが、彼女の場合、これほど可憐すぎるとどこで何をしていても、こんな風に捨てられるはずがない。元の設定は「男好きのするちょっとズルい女」だと思ったんだけどなぁ。

たとえば「浮草」の京マチ子も「復讐するは我にあり」の小川真由美も、非常に美しいけど、男に執着していく女のユルさをちゃんと感じさせる、と思う。高峰秀子の可憐さは凛としていて隙がない。流されたりすることのある人に見えない。

森雅之は中年なんだけど精悍なところがあって、手癖の悪さと生命力(繁殖力?)の強さをにおわせる男です。一見堅そうで皮肉屋で、だけど困ったときはすごく優しい…という、間違いなく女性にモテるタイプです。気が付いたらやられている、という。こういう人に気に入られたら逃げるのは至難の業。(…って男の何をわかっているつもりだ、私)

原作はほんとうに名作だし、映画はすばらしい出来だと思うのですが、ヒロインのイメージが違う。…と、めったにない”先に原作読んでしまった症候群”の罠にはまってしまった今回の私でした。「浮雲」原作本や解説をぱらぱら見直してみたけど、わかったことは、成瀬巳喜男が監督した林芙美子作品はすべて、作家の死後に作られたものだということ。原作者自身に映画化の感想をちょっと聞いてみたかったです。

ちょっと書き足すと・・・
思うに、このところうっすら感じていて、特にこの映画で顕著に思ったのは、女性を美しく描きすぎているんじゃないかってことかな。それは、映画監督は100%近く男だから。女性美化と、弱い者への思いやりや、いたわりを意図する男女差別とは、同じものだと思います。原作が女性だと、それでも女のイヤなところが見え隠れするんだけど、この映画は原作を男性が映画化したときに化学変化が起こって、女性のイヤなところが蒸発してしまいました。・・・ちなみに私は別にフェミニストじゃないので、感じていた違和感の謎が解けただけで満足。男性の原作を女性監督が映画化して、女性ばかりが悪者になるような映画、ないかなぁ!もしあれば見てみたいです。ぜひ。
以上。