子どもの頃、ハヤカワ文庫と創元文庫を買いあさったミステリー少女というかクリスティ少女だった私としては、映画化作品は全部見なければなりません。でも実はあんまりまだチェックしきれてないので、順番に見ていかなければ。
この本も40年くらい太古の昔に読んだはず。いい具合に個別の筋を覚えてないので初見みたいなつもりで見て、見終わると既視感をおぼえる、というのがクリスティ原作映画のパターンなのですが、そういうわけでこの映画の犯人にも驚きは全然ありませんでした。クリスティの特徴は、いやらしいくらい微に入り細に入った人物造形にあって、澄ましかえったイギリスの人々の心の底にあるどろっどろの愛憎利害がマグマのように噴出して血を見るという筋書き。トリックも大変練られているけど、クリスティを読み込んでいくと人物造形から犯人はだいたい途中でわかるようになります。
そういう観点で思い返してみると、「ねじれた家」において誰からも憎まれていた家長の次にねじれた人格の持ち主は、まさにこの犯人しかいなかったという気がしてきますね。人格が見えやすいか、それともいろんな要素で隠されているかにかかわらず、クリスティの人物造形は本当に一貫しているので、目を凝らしてよくよく読み込むことで作者が隠そうとしている真実が見えてきます。
(この推理方法はクリスティ作品にしか通用しないんだけどね…)