映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ルネ・クレール監督「巴里の屋根の下」2807本目

ルネ・クレール監督の作品は、「自由を我等に」、自分のなかでジェラール・フィリップがブームだったときに「悪魔の美しさ」を見たのと、最近はアガサ・クリスティのブーム(これも自分だけ)で「そして誰もいなくなった」を見たので、これで4本目。どれもこじゃれていて、人間が中心にいる映画だけど、なぜだろう、登場人物たちをいまひとつ友達のように好きになれない。昔のアメリカやヨーロッパの映画ってもともと観客と登場人物の間に距離感を感じることが多いんだけど…この作品の中のポーラは惚れっぽいし、誰にでもしなだれかかるし、なんかちょっと崩れそうな(モラル的にも体の線とかも)いやらしさがあって、女性が共感するヒロインではないですね。むしろ、誰もが親しみを感じる好青年アルベールの「振り回されたい願望」を満たす峰不二子的な非現実的ファム・ファタールという気もします。第一彼女はルーマニアからパリに一人で出てきて何をしている。このくらいきれいな女性は当時のパリにも大勢いただろうし。監督は脚本も自分で書いてるので、これは彼の一つの世界の実現、なのだと思いますが。これが「詩的リアリズム」なのか?

この作品で一番印象に残るのは、冒頭から何度も歌われるテーマ曲ですかね。すごくパリっぽくてしゃれてます。流行歌を歌ってその楽譜を売る商売…詞と曲の著作権はもうあったし楽譜の複製権と上演権も1800年代には認められてたらしいけど、アルベールが売ってたのは正規品なのかなー、いやむしろ音楽著作権会社が歌って宣伝しながら楽譜を売る人を雇ってたのかな… 映画がやっとトーキーになったばかりで、1920年代の蓄音機は家が一軒買える値段だった(つまりピアノの方がずっと安い)という情報もあるので、庶民は楽譜を買って自分で歌ったり弾いたりしてたんだろうな。(話が本題からズレてる…)