映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

クリストファー・ノーラン監督「オッペンハイマー」3803本目

やっと見た―!めちゃくちゃ出遅れた。

で、感想です。つい最近、まるでこの映画のパロディのような村田喜代子の「新古事記」という小説を読んだばかりで(※実際はパロディではなく小説のほうが先。すっごく面白かった)、フローレンス・ピューが出てることもあって「ドント・ウォーリー・ダーリン」も思い出してしまうけど、この映画でいちばん強く思い出したのはポランスキー監督の「オフィサー・アンド・スパイ」でした。原子爆弾を開発した、という衝撃的な事実を置いておけば、一人の空気読みづらい天才科学者と、彼を妬んだ策略家との争いがいちばん印象に残るから。あと「Winny」の金子氏も思い出しますね。日本はアメリがと違って、彼を一度もまつりあげることなく、叩き潰しただけだったのが、なんだか恥ずかしく思えてきます。

キリアン・マーフィーの眼はいつ見ても透きとおってて美しい。不器用なキャラクターとの相乗効果で、無実を主張しているような、受難者の瞳と見えてしまいますね。妻エミリー・ブラントは、「私が正妻よ!」感強くてぴったり(もとは不倫なのに)。一方のフローレンス・ピュー、いつもは健康でたくましいのに(今回も背中の線とかはたくましいけど)どこか崩れた今回の役もうまかった!ロバート・ダウニーJrは、確かに彼なんだけど、こんなアクの強い官僚的な役がこれほどうまいなんて。ケイシー・アフレックどこにいたっけ、と思ったら、すぐ暗殺者を仕向けそうな将校が彼か。この映画のなかで一番ゾッとする怖さを感じさせました。助手ラミ・マレックもはまってました。彼はロックスターよりこういう役のほうが合うと思う。ボーア博士のケネス・ブラナー、いつもはあまり好きじゃないけどこの役の彼は好きだなぁ。アインシュタインを演じたトム・コンティもよかった。…という感じで役者陣が素晴らしかったですね。さすがノーラン監督、このキャスティングの良さ。

科学は諸刃の剣だから、開発者にその用途や使用範囲を決めさせてはいけない。利用する側の市民の代表が、英知の限りを尽くして最もダメージやリスクの少ない落としどころを決めなければならない。と思うのですが、そこはぶれない映画でした。

あとはやっぱり、日本人として、広島・長崎に彼らが何をしたのか、どんな映像を見てオッペンハイマーが何を悟ったのか。衝撃的な本物のような映像はゼロだったな。オッペンハイマーの夢だか妄想だかの中の映像に、ほんのマイルドな映像加工がちょっとだけあったけど、アメリカ大衆向けの商業映画ではこれ以上は無理ってことなんでしょう。オッペンハイマーの心境の変化の根拠として、映画のとても大事な部分なので、普通ならもっとしっかり描く必要があると思うけど、アラン・レネが作る反戦ドキュメンタリーではないから。

でも、そういう映像はないとわかって見ていても、閃光や熱線や、開発の成功を祝う場面では胸がずきっとします。あまり心臓にいいものじゃありません。それでも日本の大人はみんな、できるだけこの映画を見た方がいいと思う。(広島・長崎にも、もちろん行った方がいい)戦争のない未来のために必要なのは対話で、話し始める前に相手がどういう状況、どういう心情で戦争を戦ったのか、知っておくことは大事。(その上で、日本人は「私たちは怒ってるんだぞ、赦してなんかいない」というアピールをもっとしてもいいんじゃないか、とも思ったりします。ほんとに腹を立てるかどうか、仲たがいをするのか、とか、補償をどうこう言うのとは別の次元で。)

構成がややこしいとはいえ、見た目が老化してたり、映像を白黒にしたり、混乱したとしてもいくつかの時代に分かれていることは明らかで、「メメント」とかよりずっとマイルドで尖ってないアメリカの普通の人向けに作った作品だとわかる作品でした。