映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ジガ・ヴェルトフ集団(ジャン・リュック・ゴダール等)監督「ブリティッシュサウンズ」2984本目

ジガ・ヴェルトフ集団って何だろう、なんでフレンチがブリティッシュの映画を撮るんだ、など何もわからないけど気になるので見てみます。この映画は1969年の作品。全編が英語です。なんか「三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実」の続きでも見てるような気持ち。「ニクソン VS マオ」なんて言葉も出てくるし。実際近い時代ですね。革命映画を作ってるつもりだったのかな。全体的にウルサくて散漫で、英国に関していろいろ不満がある人たちに団結を促し「我々は革命を起こすのだ」で終わる。ゴダールについて取り上げた映画のなかの、めんどくさいゴダールの片鱗がうかがえたような気がします。…それくらいしか書くことないや…。

 

ヴィム・ヴェンダース監督「666号室」2983本目

これもまた珍しい作品。1982年5月のカンヌでヴィム・ヴェンダース監督が他の映画監督に行ったインタビュー集ですって。今は亡き監督も多く、なんかすごく貴重なものを見せてもらうかんじです。(作品名といい、オープニングの暗い音楽といい、「シャイニング」のファンビデオでもメイキングだっけ?と思ってしまう)

しかし、さらっと見てしまうと、誰が誰だかわからなくなる(テロップがまったくない!)ので、登場順に名前が出るオープニングタイトルからメモっておくと以下の通り。(手間かかる映画だな):

ジャン=リュック・ゴダール、ポール・モリセイ(私は「処女の生血」しか見たことない。彼はわりとテレビ派)、マイク・デ・レオン(フィリピンの監督らしい)、モンテ・ヘルマン(レザボア・ドッグスのプロデューサー)、ロマン・グーピル(フランスの監督)、スーザン・シーデルマン(「マドンナのスーザンを探して」の監督)、ノエル・シムソロ(KINENOTEにはデータがないけど、フランスの監督)、ライナー・ヴェルナー・ファスビンター(急に音楽が暗くなる…撮影の翌月に死亡)、ヴェルナー・ヘルツォーク(クラウス・キンスキーは1991年に亡くなってるけどこの監督は健在。なんとなく健全な感じのする人だなぁ)、ロバート・クレイマー(ヴェンダース監督の「ことの次第」の脚本家)、アナ・カロリーナ(毎日辞めようかと思うと語って、実際映画界から消えたようだ)、マルーン・バグダディ(レバノンの監督)、スティーブン・スピルバーグ(若いけど「インディ・ジョーンズ」や「ET」後。映画の未来をハリウッドで一番楽観視してると語る。さすが!)、ミケランジェロ・アントニオーニ(「情事」しか見てないや。彼は立ち上がって力説)、ユルマズ・ギュネイ(トルコの監督。録音テープで登場。この2年後に没。「路」ずっと見たいのにまだ見られてない)。いっぱい話したのはゴダールとスピルバーグとアントニオーニで、後の人たちは一言二言だけだ。

対面インタビューでなく、部屋にカメラを置いといて各監督に好きに語らせてる形式で、名前が出ないだけでなく設問も不明。テレビと映画の対比、制作本数が減っていることへのこめんと、ビデオソフト化について、「映画は死に瀕した芸術家」などをどうやら聞いてるらしい。そこからもう40年近く経ってこのシネコンブーム、VOD大躍進、この映像自体をU-NEXTで見られるという事実を知っていると、「とりあえず心配いらんよ、みんな」と言ってあげたくなります。

ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノ監督「TOKYO!」2982本目

これ2013年に見てるけど、KINENOTEでは項目が3つに分かれてるほうに感想を書いてました。今回は何となく3本まとまった形で書いてみます。レオス・カラックスは新作を作ってるって噂を聞いた気がするけど、ミシェル・ゴンドリーの作品って全然見てないなぁ。元気なのかな。その一方でポン・ジュノの活躍はものすごいですね…。

「インテリア・デザイン」byミシェル・ゴンドリー

13年前の加瀬亮は、まだ細っこい。藤谷文子は毎週見てる「町山智浩のアメ知るTV」では落ち着いたお母さんって感じだけど、このときは若い女の子だなぁ。伊藤歩はやっぱりきれい。セリフがなんか可愛かったり、キャラがちょっとおっちょこちょいだったりするセンスは、やっぱりミシェル・ゴンドリーだな。彼はこんなふうに東京を見てるのか、と今回はなんかあたたかい目でみている。しかし、いす子ちゃん可哀想だなぁ。立派な椅子だけど。

「メルド」byレオス・カラックス

いきなり強烈な存在感。警察か自衛隊呼ぶレベル。銀座の通行人、全員がエキストラかなー。本物の通行人だったら通報されそうだもんな。東京の地中深くに戦車や日章旗の残骸が眠ってるのも、今みるとシュールでちょっと面白い。ほんとにドゥニ・ラヴァンって、日本人がイメージするセンスがよくて端正なフランスと真逆。汚いだけじゃなくて、殺戮もするし徹頭徹尾きらわれる言動をやめない。徹底してる。ちょっと不快だけど、これが狙いなんだろうな~。新作「アネット」期待してます。

「シェイキング東京」byポン・ジュノ

こんな整理整頓好きの引きこもりがいるんかな~。撮影は韓国でやったのかな、と思われる配達物の違和感。でも読書しまくって、いいじゃないか。香川照之若い、蒼井優おさない。ピザやの名前は、配給元で制作会社のビターズ・エンドのしゃれか。

久々に外に出てみたら、自分以外の人たちもみんな引きこもっていたことに気づいてしまった。地震のときだけ出てきて、またすぐ戻っていく。

・・・3作とも、東京っていう町をイメージして自由に作った感じで、批判も共感もしてないのがいいですね。意外と面白いもの作ってたんだな、とあらためて思いました。

ジャック・タチ監督「パラード」2981本目

ジャック・タチの映画は8年前、2013年に一気に何本も見たっきりになってる。なかなか見られないものも多くて…。DVD化されなかったこの作品をU-NEXTが今週から配信するという宣伝を見て、さっそく見てみることにしました。

ジャック・タチって、ボードヴィル伯父さんだなぁ。大きくてパントマイムがうまくて。(特にボクシングと、テニスのスローモーション最高)彼の作る作品は楽しくて夢と驚きがある。

で、この映画はまるごと「ジャック・タチ・フェス」ってところですかね。動物の芸やジャグリング、マジックあり、子ども向けの演目あり、クラシックな室内楽と曲芸がからんだり、サイケな感じのバンド演奏でみんな立ち上がって踊ったり。(ピアノから「とび箱」に変身したはずだったものが、その後オルガンの音になったりしてる)

コミックバンドみたいに茶々入れあいながら演奏するバイオリン、コントラバス、ギターのトリオは、シリアスな見た目なのにだんだん「レッツゴー三匹」に見えてくる(懐かしい)。かつ、何が何でも裏方たちを表舞台に出させて芸をさせる。彼は”働く人々のリズム”が好きですよね。「プレイタイム」とかも働く人たちが音楽に乗って流れる場面があった気がする。

子どもや、子どもの心をもった大人たちがみんな目を輝かせて楽しめるものを作り続けた、夢見るおじさんだったんだなー。

この作品、見られてよかったです。

(サーカスっぽいテーマ曲が流れると、モンティパイソンが始まる気がしてしまって、いきなり踏みつぶす脚とか悪いのが出てくるのを期待してしまう)

イングマール・ベルイマン監督「沈黙」2980本目

2013年に初めて見たベルイマン監督作品かな、確か。そのときはまったく入って行けず苦労したのですが、その後メジャーなベルイマン作品を何本も見たので、改めて見直してみます。

最初見たときは、なんともいえずむせ返るような圧迫感があって、息苦しかったのを、再度見ながら完全に思い出しました。なんでこれほど圧迫感があるかというと、寄りすがちなカメラ、うだるような表情の妹アナ(グンネル・リンドブロム)、もだけど、台詞、BGMはおろか効果音もない「無音」の時間の長さですかね。「沈黙」は言葉が通じないことを直接的には意味したのかもしれないけど。他の作品もそうだけど、鏡に映った鏡像もしつこく使われますね。「こびとサーカス」の非日常性も、興味より不安をあおります。

姉は無音の部屋に臥せって、執事のようなホテル従業員になんとか用事を伝えようとするけど、不自由ばかりでフラストレーションにさいなまれる。何かの病気らしいけど、どこが悪いのかさっぱりわからなくて、ますます映画は難しくなっていく。

妹(男の子の母)は言葉の通じないカフェで、言葉の要らないコミュニケーションの末、地元の男をホテルに連れ込む。

真面目で優秀な姉に罰のように与えられる沈黙と、言葉があってもなくても泳ぐように世を渡っていく妹の対決。厳格な親と子供のようでもあるけど、あまりにリアリティのない設定なので、一人の女の中の2つの相反する人格のせめぎあいのようにも感じられます。

 

で、「厳格」のほうが滅びる。でも勝った「奔放」のほうも、引き続き暑さでむせかえりながら列車に揺られているだけ。

象徴的すぎて、なにかわかったかと聞かれても「さっぱり」としか答えられないのは2回見ても同じです。「あーそうそう」とか「だよね~」とか、共感理解できた人っているんだろうか。すごくよく知られて見られてる作品だけど、そんじょそこらの難解な作品よりずっとよくわからない作品でした…。

 

ハニ・アブ・アサド 監督「パラダイス・ナウ」2979本目

<ネタバレあり>

ザイードとハーレドはふつーの、別段志が高いわけでもない若者。彼らはある日「選ばれて」、ジハードという名の特攻へ行かされる。髭を剃られて一張羅みたいなのを着せられて、ちょっとばかりいいご飯を食べさせられて、考えるひまもなく。

ジハード前の宣言を撮影しているときに、ものを食べながら気楽にしていたり、カメラの調子が悪いからやり直せと言ったりする、上役の人たちが、日本の軍部の上の方の人たちと重なってきます。A国vsB国という前に、リーダーたちが、その国の若者をどうしていくのが本当に国のため、ひいては彼らのためになるのか。

そういう正論を言う役として、英雄の娘で上流階級、フランス帰りの女性が登場する。また、ジハードの作戦が失敗したらどうなるのか、という、世界中の人たちが疑問に思っていたことの答の一つが、この映画のなかで示される。最初はやる気だったのに怖気づいて二度目の作戦を辞退するハーレド。不安なまま作戦に参加した後、はぐれてしまった逃亡したとみられたザイードは、父が密告で処刑された過去があり、自分が二度目の作戦を辞すことで家族がこのあと被る屈辱をそのままにできず、単身、指示のないままイスラエルのバスに乗り込む。

映画はここで終わるんですよ。彼にはもう帰るところはない。でも、一度目の作戦のとき、バスの中の子どもを見てジハードの断行をためらった彼なので、もしかしたら誰もいないところで自爆したかもしれない。

すごく、変な言い方だけど、この映画は勉強になりました。いったいどんな風に普通の若者がジハードを実行するのか、ためらうことはないのか、逃げたりしたらどうなるのか。ずっと謎だったことのヒントがたくさんありました。イスラム教の国では名前や顔立ちが共通してるように思われる人たちもいるけど、ハーレドみたいに、ひげをそったらぱっと見、普通のアメリカ人と言われてもわからない人もいる。

パレスチナを占領しているイスラエルが”被害者のような顔をした加害者だ”というのも本音なんでしょうね。その人々にジハードを仕掛けてしまったら、今度は自分たちも”被害者のような顔をした加害者”になってしまう、という思いを持っているパレスチナ人もいる。イスラエルはドイツを攻撃するわけじゃなく、パレスチナを求める。パレスチナと他のイスラム教徒たちはイスラエルを、アメリカを、あらゆる非イスラム国家の人々を、攻撃する。真っ向から立ち向かわないで、攻撃しやすいところに奇襲をかける。

人間ってこうなっていく運命の生き物なんだろうか。人間以外の動物たちのほうが共存がうまい気がする。どの銀河のどの星の上でも、人間のような生物が生まれた星には同じことが起こるんだろうか。

なーんてテーマを大きくしてしまうくらい、狭い地域の短い時間のなかのわずかな数の人たちを描いているけど、この映画のテーマは普遍的だと思いました。 

パラダイス・ナウ(字幕版)

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深作欣二監督「いつかギラギラする日」2978本目

これは1992年の公開時にすぐ見たはず。なぜかというと、昔から好きなSF・ファンタジー作家の河野典生という作家に「いつか、ギラギラする日」っていうタイトルの小説があって、それと関係あるのかないのかわからなかったから。1980年代を最後にほとんど書いてない作家なので、同じ理由でこの映画に注目した人ってほとんどいないかも。(似てるけどちょっと違うタイトル、一報入れて「仁義を切った」くらいかなと思ってたらWikipediaに「角川からタイトル許諾だけ受けた」と書いてあった)

TSUTAYA DISCUSでもレンタルしてないし、U-NEXTにあったのでまた見る機会があって嬉しい。つってもこの映画が好きでまた見るわけじゃないけど、なつかしさというか。

他に、「JUDY & MARY」のメンバーがこの映画のロケのエキストラをやって知り合ってバンドを始めた、というエピソードでも知られてるので、不純な理由?で見た人はそれなりにいたかもしれません。

この映画は、全盛期のショーケンや多岐川裕美、スキャンダル後の荻野目慶子や木村一八(金髪)といった、なんとも時代性のある面々に、やたらパワフルな千葉真一、イヤらしいチンピラ感がMaxだった頃の石橋蓮司や原田芳雄、青汁を飲み始めたばかりの八名信夫、親分格に昇進する前の安岡力也、変なオバサンだった頃の樹木希林、といった盤石の布陣も頼もしい。

※一瞬、木村一八って誰の息子だっけ?って考えてしまった。横山やすしが亡くなったのは1996年(わずか51歳)。昭和は遠くなりにけり、ですね。。。

内容はひとことで言うと強盗グループの仲間割れ。(私が連想した小説は、トランペット吹きの少年が傷害を起こす短編なのでまったく関連なし)

荻野目慶子のカン高い声と細眉。でも下品になりきれないところが、なんとなくちょっと悲しかったり。

エンディングに流れるショーケンの「ラストダンスは私に」も、なんかシド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」みたいでじわじわ来ます。

時代を懐かしむために見る映画も、あっていいのです。ヨゴれても彼らなりに生き生きと生きてて、なんか見てよかった。 

いつかギラギラする日 [DVD]

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