映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

オリヴィア・ニューマン 監督「ザリガニの鳴くところ」3705本目

(結末に触れています)

この原作(の翻訳)を読んだとき、「アメリカでベストセラーなんだ、すごく独特の世界で美しいけど、どこか拙くもある」って感想を書きました。著者は69歳の動物学者の女性。カイアの緻密な人物造形と比べて、二人の男の造形がゆるいし犯罪トリックの詰めが甘すぎるし、動機も見えてこない。・・・でも、これはありきたりの男女の物語ではなくて、たとえばネイティブ・アメリカンの娘と白人男性の物語だとしたら?彼女は人間社会より自然の一部であって、自分に近づいた二人の男は沼に魅入られたのだ、そこから抜けようとするものには沼の神の天罰が下るのだ・・・、という考え方も世界の片隅にはありうるんじゃないか?彼女が渡した首飾りは彼女の愛のしるしというより、彼女が彼女の沼に取り込んだ、宝物?獲物?のしるしにも思える。

出版者に話す言葉のなかに印象的なものがある。「カマキリの雌は強いんです」「ホタルは捕食のためにニセの光で誘う」(そして雄を食べる)「自然には善悪はないのかも。生きるための知恵よ、懸命なだけ」

著者も監督も女性で、プロデューサーがリーサ・ウィザースプーン。と聞くと、この作品もまた新しい「女性のリベンジ・ムービー」のひとつの形なのかもしれない、と思えてくる。「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」とか「プロミシング・ヤング・ウーマン」みたいな。そもそも、地味な女一人にいい男二人というのは、女性が書くストーリーなのだ。女性が女性として重く背負ってきたものを、静かに解き放つ映画だ、という気もするんですよね。カイヤは最後に、同情の対象というみじめな存在を超えた、と。「テルマ&ルイーズ」ばりに。だって彼女には最初から、失うものは何もないんだもん。リーサ・ウィザースプーンや女性の制作陣が「あんな男、殺しちゃえばいいのよ!」ってカイヤを囲んで励ましてる図が目に浮かんでしまう。これもしかしたら「フライド・グリーン・トマト」の系列の映画でもあるのかな・・・。

ザリガニの鳴くところ (字幕版)

ザリガニの鳴くところ (字幕版)

  • デイジー・エドガー=ジョーンズ
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