映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

コゴナダ監督「アフター・ヤン」3777本目

切なくて優しい気持ちになる映画だったな。ヤンが繊細で、ミカが無邪気。パパは熱くてママは包み込んでた。この映画も画面が暗くて(うちのTVほんとに壊れてないかな)、あえて個人を際立たせないための工夫なのかなと思ったりした。父にも母にも似ていない子どもたち、というか一人だけ「テクノ・サピエンス」のヤンだけど、ミカも養子だ。もう、こういう構成の家族であることは起承転結の「転回」ではなく「起」の前提条件となる時代だ。

カズオ・イシグロの「クララとお日さま」とか「わたしを離さないで」とか思い出す人多いだろうな。さいなまれるために生まれ出でる幼いものたち。便利に使う人ばかりだけど、彼らの中にはこんなに美しい風景が蓄積されていたのだ。これは人間でも同じで、いわゆるライフログというやつなのだ。人間って、物理的な肉体を置いといて考えれば、こういう精神生活こそが本体で、そうなるとホモ・サピエンスとテクノ・サピエンスの違いは肉体的な部分より小さくなりうる、のかもしれない。

まだもうしばらく死ぬ予定はないけど、もう少し年をとって、世界にさよならする日が来たら、自分と一緒に持って行くのはこういう記憶なんだな。生まれてすぐに見た優しいおかあさんの顏から始まって、思い出したくないものもたくさん通り過ぎて、もう忘れていたなにかの感動もたぶんたくさんあって、死ぬ直前に見る家族だか看護師だかの心配そうな顔をさいごに、ぷつっと切れるんだろうか。なんだか、悲しいのか嬉しいのかわからないような涙が出てしまう。今あるもの、今いる人を大切にしよう、と思ったりするのでした。

<追記>

ライブ会場で流れる曲が好きすぎて、ずっと脳内再生が止まらないのでググったら、もともとは岩井俊二の「リリィ・シュシュのすべて」のSalyuの曲じゃないですか。どこかで聞いたような懐かしさのある知らない曲だと思ったのに、あの映画を見たときもすごく好きだった曲だった。なんで忘れてしまうんだろう?私の記憶力…。でもこの曲が好きで自分の作品に使ったコゴナダ監督の気持ちがすごくわかるしなんか嬉しい。あの映画も、永遠に失われてしまった何か大切なものに対する切なさがいっぱいだった。「エーテル」っていう言葉が私のなかではキーになってた。

でも、考えてみたら、永遠に失われないもののほうが少ないんだ。音楽だってビートルズやローリング・ストーンズくらいのものでなければ300年後には忘れられているものが多いだろう。自分や自分の周りのものはみんな灰とか塵になっている。そう考えるとますます、今この瞬間が愛しく思えるよね…。

アフター・ヤン(字幕版)