映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

岨手由貴子 監督「あのこは貴族」3323本目

お見合いの高級レストランに、普段着に本物のバーキンで行くのが”貴族”…

空気を読まない私にとって、”カースト”を描きがちな山内マリコはかなり苦手分野で「ここは退屈」とかもキツかったんだけど、今は「女同士で争ってもしょうがないじゃない。でしょう?」というセリフが出るのか。まるで過去の自分の作品に出てきた女性たちに向かって言っているかのようだ。

女はどこの大学に行っても誰と結婚しても女だし、家庭でも職場でも女の立場を決めようとする人たちとのもめごとはある。会社も結婚も辞められるし、辞めたら何もかもうまくいくわけでもない。だけどどんな時でも、自由(不自由や貧乏が伴うにしろ)を選択することは、昔よりやりやすくなってると思う。

見終わったあと、すごく「あーよかった」という気持ちになるんだけど、映画の外の世界ではしごく当たり前のことなんだよな。この映画は見た人が何かを新しく知るというより、自分で迷いながら選択してきたことが、自分にとってはそれでよかったんだ、って思わせてくれる。

「東京って違う階層の人とは出会わないようになってる」のかな。昔お世話になった人は、田舎から出てきてコンサル会社に勤めて松濤のお屋敷のお嬢様と結婚して、軽井沢の別荘を建て直したりしてたし、取引先のデザイン会社の事務所も松濤だった。むしろ、放っておくとすぐにミックスしてしまうから、外国人を締め出したりしようとする人がいるんじゃないかな、という気もする。

バブルの頃は誰も彼も大金持ちに憧れてたかもしれないけど、もう日本にはそういう時代は来ない気もするし、階級とか気にしないで、人間ならだれでも共有できるものに共感したりしながら、安くておいしいものをみんなで飲み食いするのがいいよね…。