映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

レジス・ロワンサル監督「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」2669本目

<ネタバレまくり>

書きたいことがいろいろありすぎる…!

まず、これは、映画好きより本好きがニヤリとする、翻訳者のための映画だと言いたい。翻訳者というのは作家よりさらに行間を深読みするのが好きで好きでたまらない、マニアックで偏執狂的な職業だと思う。(←いちおう翻訳者のはしくれだった人)そんな日陰の存在をヒーロー(そうだっけ?)にした映画なんて、後にも先にも多分この1本だけだろうな。

さっそくネタバレさせていただきますが、本を愛する人間にとって、名作を書く人間を抹殺したり、素晴らしい書店に火をつけたりする編集者なんてものは万死に値するのだ。という、私怨にとどまらない義侠心がアレックスにはあったのではないか。一方のエリック社長はもともと守銭奴だけど、オスカル・ブラックであると信じる男を私利のために焼き殺した(※彼は階段落ちしたあとまだ生きていた)あとは、その原稿で最大の利益を生み出すすことが、彼のレーゾンデートルなわけです。それがなければ自分は何のために人を殺めたのか。…その辺の設定を思い返してみれば、エリックの無謀さとアレックス(と仲間たち)の大胆さの納得感が、少しは増すんじゃないかなぁ?(それでも、警備員の遵法精神のなさとか、わざとらしく自宅に遠隔操作用PCを設置しておくこととか、ツッコミどころを上げればきりがないけど)

大名作だとほめちぎるつもりはないけど、この映画では本を愛する者たちが商業主義に反旗を翻していて痛快だった、と言いたかったわけです。

俳優は、母国語とフランス語を流ちょうにしゃべる人をよく集めましたね。

オルガ・キュリレンコはロシア文学でよくある不思議ちゃん的キャラで、この作りすぎ感が典型的な「気をそらすためのキャラ」だなとすぐに感じさせてしまいます。いいんだけど。そして数か国語に堪能な彼女は、緊迫の場面で通訳も演じることになります(後述)。

吃音のスペイン人を演じたエドゥアルド・ノリエガ、聞いたことあるなーと思ったらまさかの、「デビルズ・バックボーン」で冷淡な肉体派の若者を演じてた彼じゃないですか。幅広いな!

中国系フランス人を演じたフレデリック・チョーはそういえば中国語を話す場面はほとんどなかったけど、本当はベトナム移民だそうです。

英国人アレックスを演じたアレックス・ロウザーは、この映画のためにフランス語を勉強したんだって!これまでも天才少年役とかをやってたらしい。この映画の彼の存在感は「ユージュアル・サスペクツ」を思わせますね。テッド・チャンとかケン・リュウとか新進気鋭の中国系SF作家には、小柄で一見地味で、本業がコンピュータ―エンジニアでベストセラー作家という人もいる。アレックスのキャラクター設定そのものは、いそうな感じだと私は思いました。

ところで、日本語の翻訳者が登場しないのは、今フランス人が読みたいのは村上春樹じゃなくて劉慈欣(「三体」シリーズね)だからじゃないだろうか。ハルキの翻訳者ではパリの町を縦横無尽に運転する役は務まりそうにないし。(ちなみに、それ以外で日本が出てたのは高速プリンターだけじゃなくて、音楽が日本人の三宅純だ)

緊迫の場面で翻訳家の面々がエリックに知られずに布陣を敷くためにスペイン語で話し始めると、中国人が文句を言うのでオルガ・キュリレンコが通訳、ギリシャ人も文句を言うけど放置、とか声をあげて笑ってしまいました。この映画は多分ブラック・コメディだと思う。

アレックスの命を救うことになる大著「失われた時を求めて」は、名作というので読み始めてみたことがあるけど、私には退屈すぎて10ページくらいしか読み進められなかったことを告白して、結びとさせていただきます。

9人の翻訳家 囚われたベストセラー(字幕版)

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  • 発売日: 2020/07/03
  • メディア: Prime Video